高齢者の心をつかむコミュニケーション
老人ホームや高齢者の方と話をする時に、上手く会話が弾まないことなどがあると思います。
高齢者の方は日本が終戦を迎えて、ゼロからスタートした時代に生きてきた方たちです。少しづつ経済が成長していき、新しいものがいっぱい生まれた昭和の時代。
そこで、会話のポイントとその時代に何があったのかをまとめてみました。高齢者の方と話をする時に、昭和の歴史を理解して会話をすると盛り上がります。ぜひ、お話をしてあげてみてください。
もしかしたら、ここに書いていないこぼれ話が聞けるかもしれません。
1946年・昭和21年~1948年・昭和23年
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映画 類猿人ターザン (1932) 、鉄腕ターザン (1938)
子どものたちの間で「ア~ア・ア~~」というフレーズが大流行!映画が上映されたのがキッカケです。
「ア~ア・ア~~」の声は、豹の鳴き声などの十数種の音源をミックスして作り上げたものだそうです。
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紙芝居
戦争中に紙芝居はあったのですが、主人公の物語が兵隊やお母さんのお話だったり、
語り手のおじさんの技量不足などの理由で、あまり面白くなかったようです。 戦後の環境を感じる内容です。
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DDT(塩素系の殺虫剤)
DDTを大量散布しました。ノミ、シラミを駆除するために。 頭髪に粉状の薬剤を浴びせたり、畳にかけたりしていた。
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上野動物園にお猿の電車
1948年9月23日に上野動物園で営業を開始した。
乗客は子供で金額は3円だった。 お猿の電車は1974年6月30日に廃止されました。
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カルメ焼き
ザラメや三温糖に少量の水を加えながら加熱して溶かし、125℃になったら重曹を加えて手早くかき混ぜる。
炭酸ガスが発生して膨らんだところで、冷やして固めて出来たお菓子!
話しかけ方
「ターザンごっこはやったの?」「どんな匂いがしたの?」
「どういう紙芝居を見たの?」「お菓子とか食べた?」
「行ったり、乗ったことある?」「どんな風に使ったの?」
「どんな味だったのか?」「作ったことある?」
1947年・昭和22年~1951年・昭和26年
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缶下駄遊び
空き缶に紐をつけた、遊具。缶の鳴る音を楽しんだり、歩く速さを競ったりした。
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子どもの日
5月5日は端午の節句として、男子の健やかな成長を願う行事です。
そこで、その日を子どもの日にしようという要望が多かったので5月5日。1948年に制定されました。
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穴あき5円玉
穴があいた5円玉が1949年から発行される。それ以前は、穴が開いていない5円玉だった。
銭型平時の遊びやコマを回すときの紐につけたり。
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バヤリースオレンジ発売
1938年・昭和13年にアメリカのフランク・バヤリー氏により果汁殺菌製法が発明される。
そして、1951年・昭和26年に日本で発売される。本格的な果実飲料として、初上陸!
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ソフトクリーム
1951年・昭和26年に明治神宮外苑でアメリカ軍がアメリカ独立記念日を祝ってソフトクリームの店で販売を始めたことがキッカケ。
この年の9月には、百貨店で本格的に販売されたことにより、広まる。
話しかけ方
「どんな遊び方をしたの?」「休みが出来た時どうだった?」
「どんな味だった?」「どこで食べたりしたの?」
1952年・昭和27年~1954年・昭和29年
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テレビジョン受像機
1953年の1月にシャープから初の白黒テレビが発売。(サイズは14インチ、価格は17万5,000円)現在の価値に換算すると、330万円ぐらい。
当時の一般国家公務員の平均給与が、月1万2000円ぐらいなので、給料17か月分必要でした!!
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貸本屋
図書館の本は真面目な物しか置いていなかった。だから、安い料金で新しい漫画や本を読むことが出来る貸本屋さんは人気だった!
自転車に本を積んで、貸本屋のない場所に運んでくれるサービスもあった。
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真知子巻き
1953年・昭和28年に映画「君の名は」に出てくるヒロイン=岸惠子演じる真知子が、
ストールを頭から首のまわりに巻き付けていたファッションが女性の間でブームに!
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子供が多すぎて、授業は2部制
ベビーブーム時代の子どもたちが小学校に入学することで、1学級50人以上になって教室に入りきらない状態になる。
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家電三種の神器
テレビ、洗濯機、冷蔵庫が一般家庭に普及していきました。大量生産のおかげで、値段が下がってきたことが理由。
話しかけ方
「テレビとか買ったり、見た?」「貸本屋を利用した?」
「授業とかどんな感じだった?」「初めて使った時はどうだった?」
テレビの歴史と思い出
1958年放送開始された西部劇、ローンレンジャー。これにより、水玉鉄砲を使った「けん銃ごっこ」が流行る。
チャンネル争いが起きた時に、ダイヤルを抜いてチャンネルを変えさせないようにした。
テレビに、カバーを付けていた。1960年(昭和35年)になると、白黒テレビの普及率が急上昇していきます。
そして、民放放送4社がカラー放送をはじめる。1964年(昭和39年)の東京オリンピックに向けた狙いもあったようです。
カラーテレビの16型が、24万5000円しました。現在の価値に換算すると、240万円ぐらい。一般の方たちは、電気屋さんに足を運んで、見ていた。
1966年(昭和41年)ウルトラマンが放送開始される。スペシウム光線(腕を十字にしてビームを発射する動き)、バルタン星人(両手をダブルピースにして、「フォッフォッフォッ」)、ジャミラ(シャツを顔の所まで覆いかぶす)などの、モノマネが子供たちの間で大流行しました。
当時のテレビは接触不良が多く、テレビがうまく映らなくなったら、叩いてなおしていました。カラーフィルター、白黒テレビの画面につければ、カラーに見えるという商品ですが、あまりカラーには見えませんでした。
電話の歴史と思い出
1963年(昭和38年)には、黒電話(ダイヤル式600形)が日本電信電話公社が、電話加入者への提供が開始されました。
コードがコイル状になっており、人差し指でクルクルと指に巻きつけていた人など。黒電話に、カバーや座布団を敷いてあげていた。
1966年(昭和41年)にタバコ屋さんの前に置いてあった、赤い公衆電話が登場して、全国へダイヤルで通話できました。通話時間は10円で3分間でき、10円玉を積み上げて電話する姿がよく見られました。
1969年(昭和44年)に電話ボックスが登場しました。この時に、100円玉も使えるようになりました。
会話する時のポイント!
高齢者の方は、同じ話をしてしまうことがあります。注意せずに、聞いてあげる。理解できないこともあるので、ゆったりした気持ちで接してあげてください。
過去の体験や経験したことは、忘れずに覚えています。生活の知恵など、自分の知らない知恵を教えてくれるので、逆に新鮮です!
若い人のニュアンスだと伝わらない言い方・単語・フレーズなどがあるので、会話しながら、伝わるように調節してみてください!
→読み聞かせの効果とポイント!介護老人ホーム ボランティア編
→子どもの頃に、タイムスリップ!? 「より道やっちゃん 昭和の子どもブック」
まとめ
- 同じ話でも指摘せずに聞いてあげる。
- 分かっていなくても、話をしてあげる。
- 子育て、体験したことを聞く。
- 伝わらないときは、言い方を変えて伝える。
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