日本画家・絵本画家、後藤さんの絵本「犬になった王子――チベットの民話」(文: 君島 久子 絵: 後藤 仁 岩波書店)を読み、髪の毛の美しさなど、線の美しさに引き込まれ、絵を描いた人が気になっていたところ、メールを頂き、インタビューをお願いすることになりました。
その人がどう人生を生きてきたのか、どういう想いがある人なのかに焦点を当てたものにしたいと思いました。初対面にも関わらず、失礼な質問にも丁寧にご回答下さった後藤さんに感謝いたします。
内容がとても濃いものとなっているので、前編・後編に分けて記事を紹介致します。
前編は、人の内面・人生について、後編は、絵本制作についてです。
→「犬になった王子 チベットの民話」 作:君島 久子 絵:後藤 仁
画家で生きていこうと思ったときの出来事、その時の想いについて教えて下さい。
――「当時から空想画や物語絵が好きで、空想の世界を夢見ては描いていました。」
私は物心がついた時には「絵」を描くのが何よりも好きで、いつも広告の裏などに絵を描いていました。 絵描きになりたいと決心したのは、中学2年生の時です。絵画コンクールでの入賞も続き、だんだん絵画への意識が高まっていきました。
将来は画家かイラストレーターになろうと考えて、毎日、学校から帰ると水彩絵具・アクリル絵具などでオリジナル作品を描いていました。 当時から空想画や物語絵が好きで、空想の世界を夢見ては描いていました。
高校進学には全く関心がなかったのですが、美術高校がある事を知り、大阪市立工芸高等学校美術科に進学し、高校2年生で「日本画」を専攻して今に至っています。
人生のなかで辛かった時、どういう気持ちで過ごしていましたか。
――高校時代の無視といういじめ
私は今までの46年間の絵描き人生を振り返ってみると幾多の辛酸をなめて来ました、その中でも極めて辛かった経験が2度あります。
1つ目は、高校の時に友人からの「無視」という「いじめ」(負けず嫌いの私は、当時はそう思いたくは無かったのですが、今考えると「いじめ」と言えるでしょう。
今の時代、この事は大きな社会問題になっていますので言っておこうと思うのです。)を受けた経験です。中学の時にも少しはそんな事もあったのですが、高校の時の経験はかなりひどいものでした。
大阪市立工芸高校美術科2年生の文化祭の時のすれ違いで、それまで一番仲の良かった友人が突然、私を無視しだしました。
何事も程々という事を知らない私は、当時、学科・実技・体育ともにずば抜けた首席を保っており、周りの妬みはピークに達していた様です。その友人はクラスで一番不良ぶった人物と仲良くなり、クラスの男子全員で私を無視しだしました。
女子はほぼ全員見て見ぬふりでした。暴力こそ受けなかったのですが、完全無視と時に誹謗中傷はその後、高校卒業までの1年半続きました。
その孤独感の辛さは経験した者でないと分からないと思います。何よりも一番仲の良かった友人の豹変と、その後、修復されぬまま過ぎ去った事実は悲しい事でした。
どういう想いで絵を描いていますか
――人を勇気付け心を豊かにする絵を描き続けようと決意しました。
その時、私は「絵」を描く事だけを心の糧に生きていました。誰よりも早く学校に行って絵を描き、誰よりも遅くまで絵を描いた後下校しました。
将来、絵描きになり、その様な辛い目を見る子供がいなくなる事を願って、人を勇気付け心を豊かにする絵を描き続けようと決意しました。
粉骨砕身努力しているのは、決して自分だけの為では無くて、将来絵描きとして世の為人の為になれる様に頑張っているのだと、自分に言い聞かせていました。
辛かった体験・人生での大きな壁はなんですか
――大学生の時の、突然の父の訃報
もう一つのとても辛い経験は、27歳、東京藝術大学4年生の時です。卒業制作も完成間近の年の暮れ、突然の父の訃報が兄から来ました。ビルからの転落事故という事ですが、警察によると自死だという事です。
2浪もして大学に入り、その後も大学の権威主義に馴染めず大学を飛び出し2年近く放浪して2年留年しました。
親の事を考えやむなく大学に戻ったりと、親に気苦労をかけて来た私でしたから、自責の念も相当強くありました。いつも心配ばかりかけて来た父には、せめて卒業作品を見せてやりたいという願いも届きませんでした。
当時は悩み煩悶する毎日でした。父が何度夢の中で生き返ってくれたか数知れません。 辛く涙する夜も数知れなかったです。
――「人生の辛い局面を私の場合は、すべて「絵」を描く事で乗り越えて来た」
そんな辛い日々を救ってくれたのも「絵」でした。悶々とした日々の中、何かを吹っ切る為に、なおさら作画に打ち込む事で時は過ぎて行きました。しかし、この煩悶が完全に癒えたのは、父の死から約8年後の35歳の時の「インド写生旅行」です。
1ヶ月間、インド一人旅をした折、早朝にガンガー(ガンジス川)で沐浴をしていました。ガンガーの彼岸にのぼる朝日が目に入った時、突然、父を思い出し涙が止めどなくあふれ、その刹那、とても気持ちが晴れ晴れとしました。
何故だか、今も絵を描き続けている私を父が許してくれた気がして、また生前生真面目で寡黙だった父は父なりに幸せな人生を送った気もして、納得する自分がいました。つまりは人生の辛い局面を私の場合は、すべて「絵」を描く事で乗り越えて来たわけです。
後編の最後に、後藤さんの展覧会の情報もあります。
→日本画家・絵本画家 後藤仁さんロングインタビュー!!【後編】
後藤仁 公式HP・ブログ
公式ホームページ 「後藤 仁(GOTO JIN)のアトリエ」
公式ブログ 「後藤 仁(GOTO JIN)の制作・旅日誌」